きたまち散策マップ
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奈良豆比古(ならつひこ)神社
光仁天皇の父施基(志貴)親王などを祭る社。10月8日夜に行われる翁舞は町内の翁講中により奉納されるもので、国の重要無形民俗文化財(平成12年)に指定されています。
植村牧場
街の中にある奈良で一番古い牧場。牛乳やソフトクリームを販売しています。取れたての植村牛乳や、新鮮なソフトクリームは地元のお客様はもちろん地方のお客様からも大変喜ばれています。
般若寺
コスモス寺として有名。奈良と京都を結ぶ要路にあった為、幾度の戦乱に巻き込まれます。楼門は鎌倉時代にお寺を再興したときのもので国宝に指定されています。
奈良少年刑務所
明治41年に建造された、奈良を代表する明治の建築。般若寺の目と鼻の先。ヨーロッパ中世の城や修道院を参考に設計された赤煉瓦造りの美しい建物です。
夕日地蔵
室町時代の地蔵。会津八一のうたに詠まれています。
「ならさか の いし の ほとけ の おとがい に こさめながる る はる は き に けり」
北山十八軒戸
鎌倉時代、僧忍性が建立したハンセン氏病患者の救済施設。今から700年以上も前につくられた、福祉事業の記念碑的建物です。
多聞山城跡
1559年に松永久秀が築城。1576年に信長によって、跡形もなく破壊されたわずか17年間の城。天守閣や多聞櫓を備えた白亜の城の最初であり、安土城をはじめとするその後の城郭のモデルとなった画期的なものでした。
聖武天皇陵
ご在位の間大地震や天災・人災に悩まされ、大仏造立を発願された聖武天皇の眠る墓。奈良にとってはなくてはならない天皇。参道を右手に折れていくと、その妻光明皇后の墓があります。
空海寺
空海寺は、その名のとおり開山は弘法大師と伝えており、空海はここを草庵としたといいます。 本尊は石に刻まれた地蔵菩薩で、全体は仏竈になっていて秘仏となっており、穴地蔵とも呼ばれ、60年に一度しか拝観できません。
知足院
東大寺の最北に位置する知足院。禅宗の学問所として栄えました。天然記念物の奈良八重桜は有名。百人一首で伊勢大輔に「いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に においぬるかな」と詠まれていています。
正倉院
聖武天皇・光明皇后ゆかりの品や天平時代を中心とした多数の美術工芸品を納めた倉で、世界的に知られた古美術の宝庫。校倉造の正倉(国宝)はあまりに有名。外構は一般公開されており、また宝物の一部は毎年秋、奈良国立博物館で正倉院展として公開されています。
転害門(てがいもん)
佐保路門、景清門とも言われる3間1戸8脚の堂々たる木組みの門。鎌倉時代に修理されていますが、東大寺創建当初の数少ない遺構で国宝になっています。
一条通り
東は転害門、西は平城京まで続いています。昔、荒木又衛門が法華寺あたりで宿敵を発見し、この一条通りを通り伊賀上野まで追いかけ、鍵屋の辻で仇討ちを成し遂げたといいます。
大仏池
二ツ池、大池とも呼ばれ、大仏殿を水面に映す池として、写真やスケッチなどにはお勧めのスポットです。
焼門
東大寺の中門跡。慶長11年に祇園社の前にあった膠屋から出た火で類焼。以来再建はされず、焼け門という名がつきました。大きな礎石が残っており往時の威容を偲ばせます。
戒壇院
戒壇院は754年に来朝した鑑真が大仏殿前に設けた戒壇で、聖武天皇らに戒律を授けた後、この地に土壇を遷して戒壇堂を築き、伽藍を造営したのが起こり。現在の戒壇堂は、江戸時代に再建されたもの。
法蓮格子の家
奈良女子大裏の法蓮町には、法蓮造りという中世の農家建築様式の民家が数軒並んでいます。奈良独特の大和棟の屋根と太い「法蓮格子」が特徴。
称名寺
室町時代に茶禅一味の茶の湯を開いた村田珠光ゆかりの寺。境内には珠光が建てた茶室独慮庵があり、毎年5月15日には珠光忌が開かれ、抹茶が振る舞われます。本堂の東には、千体地蔵と呼ばれる石仏群があります。
奈良女子大学記念館
記念館は明治41年に奈良女子高等師範学校の本館として建設、国の重要文化財に指定されています。グリーンが印象的な洋風建築。ここは江戸時代、大和一円を統治した奈良奉行所があった場所でもあります。
東大寺大仏殿
「奈良の大仏さん」として有名な盧舎那仏像が安置されています。創建は奈良時代。その後二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に再建されたもの。規模は創建当初に比べて東西が3分の2といいます。
東大寺西大門跡
東大寺の西には転害門の他に、中御門・西大門がありましたがいずれも中世に倒壊。押上町のバス停付近が西大門跡で、一里塚が残っています。この辺りは南都八景の一つとされた「雲井坂」で、往事の石畳も残っています。
依水園
若草山や春日山、東大寺南大門などを借景とした奈良屈指の池泉回遊式庭園。園内の寧楽美術館には東洋の古美術品が展示されています。
吉城園
興福寺塔頭・摩尼珠院の跡。明治に奈良晒で財を成した実業家の邸宅となり、大正8年に現在の建物と庭園が作られました。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室があります。
氷室神社
奈良時代、吉城川上流の春日奥山に造られた氷室(氷の貯蔵庫)に、氷の神を祀ったのが始まり。のちに現在地に移築されました。現社殿は江戸時代の造営。春は境内を彩るしだれ桜が有名です。
京街道
中世の奈良と京都を結ぶ道は、歌姫越、佐保越、京街道の三箇所の道がありました。このうち最も東に位置し、京都から最短の道が京街道。東大寺建立のための木材は、近江から木津を通りこの京街道を経て奈良に運ばれたといいます。この付近は、般若寺の前を通り、平城山(ならやま)を越えるため、般若寺坂、奈良坂とも呼ばれます。
京街道
京街道は江戸時代には名所旧跡めぐりの人々で大いに賑わいました。奈良坂を下った手掻郷(現手貝町付近)には庶民の旅宿が建ち並び、旅宿郷とも呼ばれるほどでした。しかし明治20年代になって鉄道が開通すると、宿場町は衰退していきました。